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サッカーへの熱2


こんにちは。梅雨が明けて、本当に暑くなりました。

水分を十分に取って、熱中症には気を付けてくださいね。


久々にブログを書きます。


今日は、「サッカーへの熱2」です。


中学生の時、名古屋グランパスエイトのピクシーに魅了させた私は、高校は女子サッカー同好会に入り、3年間、サッカーを楽しみました。

1998年、高3の夏、FIFAワールドカップが開催され、日本は初出場で、放送された試合を全部観戦するほど熱狂しました。中田英寿が大活躍した大会です。

日本は、H組で、クロアチアと対戦しました。

そこで、ズボニミール・ボバンの存在を知ったのです。

      


なんだか、すごく惹かれるものがあって、ボバンについて色々調べました。

そこには、1989年に起こった東欧革命の流れ、ユーゴスラビア連邦解体という国内情勢に翻弄されたサッカー人生がありました。

ボバンは、クロアチア人です。自らを「純粋な愛国主義者」と称していました。

1990年5月、クロアチアとセルビアの対立を背景にしたディナモ・ザグレブ(クロアチア)対レッドスター・ベオグラード(セルビア)の試合で起こった暴動の際に、セルビア側の警察官と乱闘を起こし、9ヶ月間の出場停止処分を受け、ワールドカップ・イタリア大会を棒に振ります。

このワールドカップ・イタリア大会におけるユーゴスラビア代表は、監督がイビチャ・オシム。そしてピクシーことドラガン・ストイコビッチが活躍し、準々決勝まで進みました。ここにボバンがいたらと悔やまれます。

1991年6月25日、クロアチアはユーゴスラビア連邦から独立します。

ボバンは、言います。「サッカーを戦争だと言う者は、本当の戦争を知らない」と。


民族紛争や、国内情勢に人生が左右されるということは、島国・日本で生まれた私には、全く縁のないことでした。

そして、東欧・スラブ人・バルカン半島に関心をもった私は、高3の夏、進路をはっきり決め、大学は、文学部文明学科東ヨーロッパ専攻に進みます。

大学では、ロシア語を学びました。東欧の様々なことを学びました。


1999年3月24日から、コソボ紛争において、NATOによるユーゴスラビアへの空爆が始まり、同年6月10日まで続きました。

それまで政治的な発言は極力控えていた名古屋グランパスエイトのストイコビッチでしたが、3月27日の神戸戦後、「NATO STOP STRIKES」(NATOはユーゴスラビアへの空爆を止めよ)というアンダーシャツを見せて空爆への抗議行動をとり、Jリーグより注意を受けました。

このことは、すごく印象に残っています。






クロアチア人のボバン、セルビア人の「ピクシー」ことストイコビッチ。

同世代の二つの才能・・・。



この頃の私は、サッカーを通して、国家と個人の関係を少しばかり考えました。



ブログだいぶ長くなってしまい、ごめんなさいm(__)m


| 2012年07月18日 15:22:28 | メルセからのお知らせ |


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